- STUDIO
- 2025.05.27
私とMIT STUDIOの思い出④~所縁ある方々からのメッセージをご紹介
いよいよ「MIT STUDIOの思い出」第4弾です。メッセージを読み返す度に、皆さんのMIT STUDIOへの思いが私以上に感じます。東新宿でもしっかり継承しなければなりません。
井村光明さん
僕の世代のCMプランナーにMITさんの思い出を聞くと、間違いなく全員「ミキサー立花さんの背中」と答えるのではないでしょうか。
僕らの新人時代はラジオCMの企画・ディレクションから始まったのですが、若さゆえ無邪気にテイクを重ねまくり、未熟ゆえ判断つかず編集に時間をかけてしまう。当時はデジタルではなかったので、文字通り6mmのテープを切って貼って繋いで僕の迷いでまた戻す、それを無言でしてくださっていたのが立花さん。
が、その無言の背中から伝わってくるんですよね、殺気が。「やばい、そろそろ決めないと」と思いつつ「最後にもう一つ試したいんですが」などとグズグズしていると、次は背中向けたまま声が来る「それ、最初に試しましたよね」。それでも迷っていると、ついに振り向いた鬼の形相と目が合うわけです。とにかく立花さんの背中にビクビクしていました。
振り返ってみると立花さんの背中に教えてもらったのは、編集のキレの良さだったと思います。それはラジオだけでなくテレビCMにも通じるものでした。
この春MITさんは三田からお引越しとのことですが、僕もこの春博報堂を卒業しフリーとなったんです。偶然のような気がしませんでした、改めましてありがとうございます。僕はMITと立花さんに育てていただきました。
クリエイティブディレクター / CMプランナー 井村 光明
山本渉さん
「MITスタジオの思い出」クリエイティブディレクター山本渉
MITスタジオには、独特な空気が流れていた。仏教ビルの中にあったからか、光の届かない地下にあった影響なのか。スタジオへ入ると、キリッとした緊張感にいつも包まれた。その中で立花さんはじめMITの皆さんと、数えきれないほどのラジオCMを制作できたことを、誇りに思う。
移転で寂しい気持ちと、新しいスタジオへの期待感が混在している。東新宿にて、名作や迷作がまた生まれるのが、今から楽しみでならない。
村山覚さん
M:♪〜(ゆったりした中国風音楽・二胡?)
SE:ジュワー!(中華鍋の音)
村山:三田駅から徒歩1分。
宮廷料理の伝統を受け継ぐ口福の一品。
あ、ここの口福は口の福と書いて口福です。
その一口で、口角が上がる。中国料理「菩提樹」
……で、ネギチャーシュー麺を食べたら地下2階へ。
そこで出迎えてくれたのはW辺さん、S藤さん。
スタジオに入るとくるっと振り返るT花さん。
正方形のTBボタンとCUEボタンを計何回押したかな。
ブースの中で演じたり歌ったこともあった。
いちばん思い出深いのはP社のテレビのCM。
ちょっとややこしいんですけど、テレビのラジオCMを作ったんです。今から15年前(15年も前!)当時、3Dテレビがものすごく注目されていてクライアントのA山さんから「ラジオCMの右チャンネルと左チャンネルで立体感のある表現をできないかな?」という大ヒントをいただいた。
で、T川クリステルさんにスタジオまでお越しいただき、ナレーションを読んでもらった。なんという僥倖。スタジオのスピーカーから聴き馴染みのある美しい声が流れた。「右側クリステルです、左側クリステルです」
SE:ジュワー!(中華鍋の音)
村山:東新宿でもにやにやしながらTBボタンを押したいです。
引き続き、よろしくお願いします!
コピーライター:村山 覚
渡邉浩二さん
この度はMITスタジオがお引越しをするとのこと、ますますのご発展を願います。
同時に仏教伝道センタービルの地下に降りていく天井の低い階段と、あのスタジオが移転してしまうのはいささか寂しいですし、感慨深い気持ちでございます。長年、レギュラーのラジオCMを磯部弘さんとお願いさせていただき、ディレクターでもない私が卓に座らしていただく時はいつも立花さんに頼りっきりでした。
収録終わりに今は閉店してしまいましたが徳美寿司でお酒を交わしていたのが三田での良い思い出です。レギュラーの仕事が終了した後も、困ったことがあればMITさんに相談させていただきました。(もちろん困った時だけではありませんが!)
もちろん今後もお世話になりますが、あのスタジオ、三田での思い出は忘れません。引き続きよろしくお願いいたします!
渡邉浩二(ホリプロ メディアプロデュース部プロデューサー)
吉田弘さん
【MITスタジオの思い出】 初めて訪れたのは、凡そ45年前だ。そんな長い年月の中、地下1階と地下2階にあるスタジオの金魚鉢の中で、立花さん、鈴木さん、斎藤さん、佐藤さん他、沢山のエンジニアの手と知恵を借りながら生まれた、無数の私のラジオCMと言う子供たち。
本当、皆さんにお世話になりました。
全てが傑作ッ!!・・・と呼べるよね、立花さんっ。
作品とは関係ないけれど、スタジオへと繋がる少し薄暗くて狭い階段、身長もあまり高くはない私でもぶつかりそうな低い天井、そして、ひび割れた白い壁・・・そんなおちゃめなMITスタジオさんとお別れは少し寂しいけれど、今では、全てが良い思い出です。
三田での歴史はもう直ぐ閉じるけど、新たに開く、新宿の扉。もう少し続くであろう私の制作物に今までと同じ様に素敵な色を付けて下さいね。今まで、有難う。そして、これからも宜しくッ!!
吉田事務所 ラジオCMディレクター 吉田 弘
長内隆之さん
MIT三田スタジオの思い出
あるラジオCMの仕事で、9年間にわたりいろんなロケにご一緒していただきました。土砂降りの小豆島オリーブ農園、牛のウ〇チに足をとられた十勝の牧場、夜明けの沖縄名護バスターミナル、真夏のウォーターボーイズたち・・・。
いろいろアクシデントもありましたが、旅の思い出は数えきれません。その音源をCMに仕上げた三田のスタジオには、旅の思い出もいっぱい詰まっています。
そんなスタジオがなくなるのは寂しいですが、今度は新しい新宿のスタジオで、また新しい思い出を作って行きましょう。これからも、よろしくお願いします!
CMプランナー 長内 隆之
佐藤政道さん
MITは何とも居心地の良いところだった。年を取ったせいなのか(現在64歳)思い出すのは楽しかったことばかりだ。
ミキサーの佐藤さん…全てを受け入れてくれる仏様のような笑顔が思い浮かんでくる。私が行く時には、ドイツ製の真空管マイクを用意してくれていた。私の良きところを引き出すためだと言っておられたが、拙い私の技量を補うためだったんじゃないかしら。
そのマイクを使うには、前もって真空管アンプを準備して充分温めておかなければいけないとかで、いつもその作業をしていてくれているのを横で見ていた。こちらの気合いが入るのも当然です。
そうやって真空管で優しく声を拾い上げてくれるように、MITの空気は、優しさに満ちていた。だから居心地が良かった。その空気はMITのスタッフが作り上げたもの。改めて言うまでもなく、その元は、立花さんの人柄による。新しい場所に移っても、居心地の良いスタジオを期待しています。
(株)懸樋プロダクション 所属 佐藤政道
中尾みち雄さん
長い間、田町ではお世話になりありがとうございました。
思えば右も左も分からないボイスサンプル作りから、どうすれば最高の笑いになるのだろうと悩んだラジオCMの数々。ふと見ると、ガラス越しにいつもクールな立花さんの背中がありました。
「怒っているのだろうか?」 「落胆されているのだろうか?」
あの緊張感の中で鍛えられたからこそ、今の私はあるのだと思います。新しい地でも、また沢山の素晴らしい作品が生み出されることでしょう。そして、少しでもそんな楽しい作業にまた関われるよう、研鑽して参りたいと思います。
(株)懸樋プロダクション所属 中尾みち雄
桜岡あつこさん
MIT移転によせて。
三田のMIT移転ですか、月日の流れを感じます。¥私はこちらのスタジオで育てていただいたと言っても過言ではありません。というか勝手に自分ではそう思っております。
かつて所属していた豪勢堂のお隣のビルにあり、たくさんのラジオCMをやらせていただきました。待合のスペースが居心地よくて、仕事の前や待ち時間にそこでのおしゃべりが盛り上がりすぎたこと、スタッフさんの出入りする扉の隣にあるのも好きでした。妙に興奮するポップなトイレの壁紙も、ね。あの場所がなくなってしまうのはちょっと寂しいです。
そしてなんと言っても、スタジオに入れば安定のメンバーが迎えてくださり、今日もいいものつくりまっせー、なテンションが上がる感じ〜そう、MITといえば、立花さんの醸し出すオーラ、ですよねやはり。作品づくりが毎回楽しかったです。
東新宿MITにはアテレコブースもできるのですね。近年吹き替えもやらせていただいてるので、また色々なジャンルで素敵な経験を共にできることを願っております。まだまだ、育ててもらう気、満々です。
三田MIT、本当にありがとうございました!
(株)懸樋プロダクション 所属 桜岡あつこ
懸樋学さん
スタジオ移転、おめでとうございます。
新規形態スタジオ稼働も含め、今後の活動も楽しみでございます。一方で、田町スタジオは私にとってとにかく想い出がたくさんあり、ここからスタジオが消えるのは、あまりに切なく寂しい気持ちではあります。
私がMITスタジオを知るのは、今から30余年前、古巣大沢事務所のオーディオルームでのことでした。
たくさんの音源が様々なメディアで棚に並んでいた時代です。私はひとつひとつ聴いていく中で「MITギャザリング」のロゴが入ったラジオCM作品が入ったカセットテープに目が止まりました。聴くと、まさに“心に刺さる音”でした。20代前半、テレビ番組しか関わっていなかった私はその音に驚き、そこに並んでいた役者さんの名前をチェックし始めました。
スマホもインターネットも無かった頃です。タレント名鑑を捲りながら日々聴いていました。今想えば、それは今日の仕事に直結しています。何も変わっていないのだと自身で驚きもします。
ほどなくして、私はMITスタジオでのラジオCM収録に立ち会う機会を得ました。たくさんの方がいて、わたしはまさに見ているだけ聴いているだけでしたが、あの時感じたことが今日を支えていると言っても過言ではありません。
あの日スタジオに入っていた子役、「俺、今日3本目なんだ」と言っていました。
なんて生意気なガキなんだと思いましたが、芝居は天才的でした。その子役も大人になり、大沢事務所の所属になって、いい役者さんになりました。先日、スタジオで会いましたが、46歳になっていました。月日は流れたのだと改めて感じます。
人も時代も変わっていく、スタジオは進化とともに移転もする…仕方がないことではなく、素晴らしいことです。でも、今こうして三田・仏道センタービルの前で、この30余年に想いをはせると、寂しい気持ちで胸がいっぱいになってしまいます。
深くこうべを垂れると、水滴がアスファルトに落ちる…やはり今も涙が、止まらないです。ありがとうございました、三田MIT様。明日からも収録は続きます。これからも、見守っていてください。
(株)懸樋プロダクション 代表 懸樋学
神奈延年さん
スタジオのご移転、誠におめでとうございます。
初めて三田のスタジオにお世話になったのは、ラジオCMのお仕事でした。それから、ゲームの収録、歌のレコーディング、洋画の吹き替えなど、さまざまなジャンルのお仕事をさせていただき、大変思い出深い場所となりました。
スタジオのスタッフの皆さまも、初めてお世話になった頃から変わらず、いつも親切で感じが良く、演者として本当にありがたく、リラックスして仕事に集中できる、大好きなスタジオの心より感謝申し上げます。
新たな場所で、新たな第一歩を踏み出されるMITスタジオ様のご移転を、心よりお祝い申し上げます。
今後ますますのご発展をお祈りし、祝辞とさせていただきます。
青二プロダクション 神奈延年
中友子さん
MIT さんには、本当にお世話になりました。
東京へでてきて、右も左もわからなときに、「田町」という駅を知りました。MIT で録ると、一番好きな、自分の声に録れていて、本当に大好きなスタジオでした。そして、CM の賞をいただいたのも、MIT さんでの作品でした。たくさんの青春時代が思い出されます。
そして、新宿での MIT さんにまたたくさんお邪魔したいです。たくさんたくさんありがとうございました。
青二プロダクション:中友子(*^^*)
皆口裕子さん
MIT STUDIOさまへ
あなたの元へ初めて伺ったのは、四十数年前、まだ高校生のときでしたね。学校帰り、今よりずっと暗い駅からの道を緊張しながら歩いていったことを覚えています。
それからたくさんのラジオCMを録らせてもらいました。20代の頃はタイムカード作る?と言われるほどに。その頃、仕事終わりにいただいていた完パケのカセットテープ、まだ持っていますよ。
この頃はゲームの収録で伺うことが多かったですね。ゲームと言えば、上の階でキャラクターソングのレコーディングに苦労したこともありました。そんな思い出いっぱいの場所から、お引っ越しをされると聞きました。
あなたの元で出会ったスタジオのみなさん、制作会社のみなさん、演者のみな
さん、大好きな方ばかりでした。あの階段を降りることがもうないと思うと少しさみしいですが、これからも『田町』と聞くと、あなたとの楽しい思い出が浮かぶと思います。長い間お世話
になり、ありがとうございました。
青二プロダクション:皆口裕子
山本百合子さん
MITスタジオ様
いつもお世話になっております。この度は、東新宿へご移転との事…新たなスタート、心からお祝い申し上げます。
三田のMITスタジオへは毎日の様に通っている時代がありました。40年近く前ですかね〜?当時まだ立花氏が入社したばかりで…可愛いくて…その頃から「バナちゃん」と呼ばせて貰っております。
バブルでCM業界が忙しい時代でしたので1日の仕事の最後がMITスタジオという事もよくあり、夜中仕事もしょっ中でしたねー!2階の中華の「椎茸焼きそば」がとても好きでした。もうあのビルへ行く事がなくなるのですね…
新天地でも新しい思い出を作るべく、今後ともよろしくお願い致します。MITスタジオの更なる御繁栄をお祈り申し上げます。
青二プロダクション 山本百合子
金月真美さん
金月真美です
初めて MIT さんにお世話になったのは、小学生の時。ラジオ CM のお仕事でした。それから長い間、「ラジオ CM といえば、MIT さん」という印象だったのですが、声優デビューをしてからは、自身の CD やキャラクターソングのレコーディングでお世話になる、「レコーディングと言えば MIT さん」にかわっていきました。どちらにしても、私にとっては居心地の良い、ほっとする、思い出深い大好きなスタジオです。
新しい場所に移られても「大好きな MIT さん」新しい場所で、新しい思い出を作れることを願っています。これからもよろしくお願いいたします。
小山裕香さん
田町のミットさんにはラジオ CM 収録でたくさん通わせて頂きました。 まだ安定感の乏しい素人くさい喋りの頃から使って頂き、そのせいかミットさんで仕事を する時は、恐がらずにいろんな表現を試せていたと感じます。それは、よい表現のためな ら忍耐強く、でも的確に、パフォーマー・ディレクター・クライアントの間で最適解を導 きだせるミキシングスタッフさんへの信頼感があるからにほかなりません。最新の機材で 高品質の音は取れるけど、良い表現を得るには感性のすぐれた技術スタッフが不可欠と思 います。 立花さん、鈴木さん、お二人が卓にいると安心感があり、のびのび喋れました。東新宿の 人になってもますます良い仕事をなさいますよう! キラキラトイレ、mit 水、階段の低い天井、…田町ミットスタジオ好きでした!待ち合わ せ室においてある、コミック「モンスター」、まだ最後まで読んでないから新天地に一緒 に連れてってくれたら嬉しいです笑。 ありがとう、ミットスタジオ!!
青二プロダクション 小山裕香
疋田由香里さん
三田のMIT STUDIOでの思い出は沢山!
はじまりはもう何十年も前、新人の頃…ファストフード店の店頭ナレーションで通わせていただきました。クライアントさんにもらえるお菓子を密やかな楽しみにしていた当時を懐かしく思い出します。
その後もラジオCMやゲーム、所属事務所のボイスサンプル録りまで、あらゆる分野の収録でお世話になりました。ご一緒した先輩方からいろんな話を聞けた居心地の良いロビーにも思い出が詰まっています。
個人的には忘れ物をしたりとスタッフさんにお手数かけたこともありました。三田のスタジオに最後伺った時も、どのスタジオかわからず彷徨い入ってしまったスタジオでアーティストの方がレコーディング中…まるで不審者となった私を優しく誘導いただきました。笑
振り返ると楽しい思い出しかない三田のスタジオ!そんな場所もなかなかないことで、ご縁を持てたことに感謝しかありません。MIT STUDIOの良いサイズ感の水ペットボトルと共に過ごした、ブースの中でのワクワクの時間は忘れません。
心からありがとうございました!新たな地でのMIT STUDIOにも期待を膨らませ、早く伺えることを楽しみにしております。
青二プロダクション:疋田由香里
豊嶋真千子さん
『MITスタジオの思い出』
先日、何年かぶりにボイスサンプルを更新するために、MITスタジオさんにお世話になりました。
原稿のご提案、ナレーション収録のディレクション、BGMのチョイス。。。どれも的確で、大変快適に収録することが出来、またマネージャーさんにも好評のボイスサンプルを作ることが出来ました!本当にありがとうございます。
思い返すと、MITスタジオさんには新人の頃からお世話になっています。最初にスタジオに行ったのは、まだ事務所に入って1年目の時で、確かラジオCMの収録だったと思います。田町駅で下車して、地図を見ながらスタジオまでの道のりをキョロキョロしながら歩いて行きました。
連日通ったのは、歌のユニット「GIRLS BE」をやっていた時です。毎日いろんなブースで(沢山のブースがありますので)レコーディングをしていた時のことを今も鮮明に覚えています。歌いこなせなくて涙ぐんだり、新曲をどきどきしながらレコーディングしたり…。ちなみにその時の楽曲が、最近新たに配信限定でリリースされたんです!当時のMITスタジオでの思い出がたっぷり詰まった曲たちを、今も聴いてもらえるのはとても嬉しいです。
新たな地に移転される「MITスタジオ」は、また沢山の名作を生み出されることと思います。私もその一端を担える日を楽しみにしています。
青二プロダクション 豊嶋真千子
浦かずひろさん(豪勢堂 GLove)
【MITスタジオの思い出】by豪勢堂
初めてボイスサンプルを収録して前社長の横井さんやZoo代表の関さんと出会った場所です
バブルの熱が少し残ってた頃でテレビもCM業界もまだ勢いがありました 今と違い あの頃はアナログ時代だったので 録音はオープンリールテープでした なので何テイクもやり直した時の申し訳なさと冷や汗は 半端なかった あの地下の何ともいえない天井の低い通路をもう通る事もないのがちょっと寂しく思います
倉貫 匡弘さん(豪勢堂 GLove)
声のお仕事をやりたいと思っていて、ご縁があり豪勢堂さんにお世話になる事ができ、初めてボイスサンプルを収録したのがMITスタジオさんでした。緊張でのぞんだ収録でしたがスタジオの皆さんの暖かい雰囲気のおかげで徐々にリラックスする事ができ楽しんで収録する事ができました。
MITさんから僕のナレーター人生が始まりました。感謝!今までお疲れ様でした!そして、引き続きよろしくお願いします!
星野利晴さん(豪勢堂 GLove)
私は、MITスタジオさんのロゴがすきです!!
センスがよくてオシャレ!!
『STUDIO』のゴジック体に対してデザイン文字の『mit』の対比、『STUDIO』を極細の線で上下に挟み『i』の横に置くバランス、赤い点のカッコ良さ、性別など関係なく良いものを創る、そんな思いが伝わってくるような、記憶に残るこのロゴがとても印象深いです。
ナレーションも対比、バランス、センス、良いものを創る、そうありたいと思えたMITスタジオさんのロゴに感謝です!!
麻菜さん(豪勢堂 GLove)
麻菜です!
MITには、本当に本当ーーに!お世話になりました!私の初のCMのお仕事もMITでした。もう25年も前になるかと、、ひゃーー
そして、私の事をいつもサポートして下さっていた皆様★本当にありがとうございました。MITでの仕事だと、誰かしらに会えるのがまた安心し切れました。さみしいですが、また新しいところでもアットホームな場所にして下さい❤笑
森貞文則さん(豪勢堂 GLove)
当時はTEAM発砲B・ZINのメンバーとして横井社長と2人でボイスサンプルを収録した日を今も昨日の事の様に覚えています。それから事務所に所属し頻繁にお仕事で呼んでいただき育てて頂いた、まさに聖地。
スタッフの皆様の人柄が暖かく、とてもリラックスしながら収録させて頂いた為、お仕事のご連絡を頂くと嬉しくて予定より早くついてしまい、隣のビルの豪勢堂の事務所で待機する事もしばしば。
スタジオに入る前の、あの入り組んだ地下の動線が好き。待ち時間にいろんな先輩とお話しさせて頂いた、あの話しやすいスペースが好き。まさに青春の場所でした。
移動するのは寂しいですが、また新たな方々の青春の場所が出来る事になると思っています。その時はお呼びいただけると光栄です。
横山真弓さん(豪勢堂 GLove)
初めてのボイスサンプル収録、ナレーション初仕事もMIT田町スタジオでお世話になったので、ナレーターとしての私を産み、育ててくれた親ような存在です。
その後もお仕事で伺うたび、授業参観日の子供のような、ドキドキ・ワクワク・ソワソワな気持ちになる、特別な場所で…
それがなくなるというのは寂しいですが、学生気分は卒業し大人として、MIT新スタジオにも伺えるよう精進いたします!長い間ありがとうございました。そしてこれからも末永く、よろしくお願いいたします!
横井天真さん(株式会社 豪勢堂)
初めて伺ったのは確か15年程前、まだ僕が学生の頃でした。当時豪勢堂の代表をしていた父に「声録ってみるか」と連れられ、演技やレッスンの経験もないままにドキドキで収録をしたのを今でも覚えています。
その時もミキサーをしていただいた、父と同い年の立花さんには、今でも弊社のサンプル収録には必ずお立ち会いいただいております。長きにわたりお世話になっており感謝感謝の一言です。弊社所属役者全員のボイスサンプル収録から、ラジオCMのお仕事まで本当にたくさんたくさんお世話になりました。
昨年弊社が代官山へ移転するまでは2つ隣の建物でしたので、豪勢堂の役者がお世話になる際はよくお邪魔させていただいていたのが懐かしいです。
ラジオCM特有の、各役柄の皆さんが集まってブース内で掛け合いをする場面も複数名弊社から呼んでいただいていると、久しぶりに役者達が対面するかけがえのない機会でしたが、コロナ禍には減ってしまい少し寂しい思いをしたのも思い出です。移転先もまた皆の笑顔が集まるスタジオになることと思います!
最後になりますが、改めましてスタジオ移転、おめでとうございます。そして昨年まではお隣様として、ありがとうございました。新スタジオでも、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
森千亜紀さん
人生で初めてナレーションを収録したスタジオ、それがMITスタジオでした。
ナレーションの仕事を経験したことがなく、とてもありがたいご縁をいただき、MITスタジオでボイスサンプルを収録しました。すごく緊張したのを覚えています。その後も仕事やボイスサンプル収録で何度もお世話になりました。ワークショップにも参加し、他のナレーターの方と交流させていただいたのもありがたかったです。
伺うたびに緊張はするのですが、なぜか落ち着く…という、私にとってはふるさとのようなスタジオでした。本当に、本当にありがとうございました。新しいスタジオにも伺いますね。これからもよろしくお願いいたします。
森千亜紀
以上第4弾でした。皆さんありがとうございました。数々のプランナー、コピーライター、ディレクターのみなさんに、鍛えていただきました。青二プロダクションさん、豪勢堂さんはヴォイスサンプル収録で、長年お世話になりました。
三田はもう全てのスタジオがクローズして、新スタジオのオープンに備えています。しかしながらこちらのブロブ記事をご覧になって、私にもこんな思い出がある!と、思われる方は是非ともお送りください♪番外編で掲載させていただきます!
著者:立花隆(プロデューサー&エンジニア)