- STUDIO
- 2024.03.19
海外作品のローカライズにおけるテキスト監修の重要性
MIT STUDIOでは、海外作品のローカライズにも携わっています。今回はローカライズの『テキスト監修』についてお話します。
関連リンク:海外作品のローカライズ~波形合わせの収録
ローカライズの重要性
ローカライズは、他言語作品を地域性に落とし込む作業というのは、ご承知かと思いますが、原文と見比べつつ、他言語が理解できる人間が、日本語として違和感を抱えつつも「原文ではこう言っている」で、留めてしまえば、原文を見ず日本語の音声とテキストだけで追っているユーザーは、当然違和感を覚えます。
これはキャラクターを演じる役者も同様です。文章に対して疑問が残れば、演技にも影響が出る場合もあり得ます。コストや時間という制限を抱えながらの作業になるため、ローカライズにおいて100%のクオリティを達成するのは、容易なことではありえませんが、エンターテイメントの根幹は、没入感にあるため、テキストクオリティの妥協の積み上げは、最終的なユーザー満足度に跳ね返ってくるというのが、私の持論です。
テキストクオリティが没入感に直結
ローカライズの肝となるのは、何をおいてもテキストだと私は考えています。テキストのクオリティは、役者の感情移入、ひいてはユーザーの没入感に直結するからです。
ローカライズ案件では、音響監督がセリフの監修に当たることがありますが、その際に私が最も注意を払うのが、「直感的に理解できるセリフにする」ということです。直感的に理解できないものに対して、人間は思考してしまうことが多いです。推理やミステリーにおいて、作品没頭した上での思考は、作品の意図するところなため問題はないものの、単純にエンターテイメントとしての没入感が必要なタイトルに関しては、「思考=集中の途絶」の図式になると、私は考えています。
集中が途絶えた瞬間、没入感も終わってしまう。そこから改めて集中するのは容易ではありません。同じ上映時間の作品であっても、あっという間に感じるものと、妙に長く感じてしまう作品があるのは、この没入感の持続に左右されるものです。
普段私たちが目や耳にしている文章は、プロが校正を重ねた上で世に出ています。作品として、中途半端な文章を目にすることは、基本的にありません。だからこそ、半端な文章はユーザーの不振や、不快感に直結してしまいます。作品をより良く、ユーザーにとって魅力的なものにするために、テキストクオリティの向上は非常に重要です。そうなると、原意に沿った上での意訳は、ローカライズにおいて必須です。「原文ではこう言っている」で、留めてしまうと、日本語としては不自然になる場合があるからです。
作品へのユーザー満足度が、今後に繋がる最大の利益です。私自身が、ゲーマーであることも一因ではありますが、関わった作品には、妥協せず真摯に向き合っています。ぜひMIT STUDIOまで、ご相談・お問合せお待ちしております。
著者:髙山晃(STUDIO・制作)